この判断については、今振り返っても、正しかったとしか言いようがない。と思っています。 ただしそれは、最初から確信があったわけでは、ありません。
日本商工会議所青年部の委員長として……と声をかけられたとき、正直、不安の方が圧倒的に大きかったです。 自分にやり切れるのか。時間は足りるのか。お金はどうなるのか。仕事は回るのか。 経営者として持っている「時間・お金・労力」という有限な資産を、この役職に費やしていいのか。何度も、頭の中で天秤にかけました。
背中を押したのは、これまで仲間に言われた言葉でした。 「やりたいなら、やれるようにしていくしかない」
不安を「分解」する
だから私は、一つずつ不安を分解していくことにしました。 まず、お金のことは、あまり考えないようにしました。できるようにすればいい、と。
本当に向き合うべきは、時間と労力でした。この役は、私一人の問題ではありません。関わる委員会メンバー、運営幹事、副委員長。多くの人の時間と労力を預かる立場です。 だから、感情ではなく、設計で受けることにしました。
- 常設チームは3つ
- 大きな事業は全員でプロジェクト化
- 運営幹事は2人、副委員長は4人
- うち3人にはチームリーダーを、1人には全体を横断的に束ねる役割を
受けると決めた時点で、「この人に(この単会から)お願いしたい」という顔は、すでに浮かんでいました。 仕組みを作るだけでは、組織は動きません。血を流す役割は、私が引き受けると決めていました。委員会メンバーと直接つながること。不安や違和感を、スタッフ会議で必ず共有すること。 全力で関われないメンバーがいることも、最初から織り込み済みでした。その調整役を、副委員長たちが担ってくれました。
自社の役割も再設計する
一番悩んだのは、正直ここです。「全国を駆け巡る役職を引き受けて、会社の仕事が回るのか」。 ここでも、これまで学んできた「組織的な考え方」を使いました。協業パートナーに相談し、役割を再設計しました。
- 私は、窓口に集中する
- 実務の大半は、協業パートナーに任せる
その結果、私は実務からほぼ手を引き、本当にやるべきことにだけ時間を使える体制を作ることができました。
委員長を引き受けたことで、多くの学びがありました。でもそれ以上に大きかったのは、会社の体制を変えたことです。 協業パートナーと、時間をかけて話し合い、価値観を共有し、一緒にやっていく関係を作った。その積み重ねがあったからこそ、クリップの理念体系づくりにも、自然に協力してもらえたのだと思っています。
この判断は、「余裕があったから引き受けた」ものではありません。 不安だらけだったからこそ、設計し、組み替え、環境ごと変える判断をした。経営者の判断は、覚悟と同時に、構造を変える決断を含みます。