私の人生の原点には、「熱を持ってしまった子ども」を煙たがらずに受け止めてくれた大人がいました。

子どもの頃の私は、お祭りになると山車について歩き、同級生たちがやっていたお囃子を後ろから勝手に覚えていました。 会所の縁側で真似事をしていたとき、近所のおじさんが声をかけてくれました。 「お? 覚えたのか。やってみなさい」 目を閉じて、聞いてくれました。その年の夏、女人禁制だったお祭りに、私は仲間に入れてもらいました。

叱り、受け止め、背中を押す

未熟だった私は、その後たくさん悩み、何度も叱られました。 会いに行きづらくなるほどの、いわゆる“ガチ叱り”を受けたこともあります。 それでも、改めて会いに行くと、何事もなかったように、変わらない態度で包み込んでくれました。

あるとき、こう言われました。 「そんなことは考えなくていい。お前は、大いに舞いなさい」

楽しむことも役割なのだと。場を設えるのが、大人の役目なのだと教えられました。 そのとき、私は気づきました。 子どもたちが安心して夢中になれる場は、誰かが“設え側(しつらえがわ)”に立たなければ生まれない、ということに。

「設える側」に回るという決意

祭りだけではありません。楽しい子ども時代を過ごさせてもらったのだから、次は自分が、「設える側に立ちたい。豊かな人になりたい。人の役に立つ人になりたい。」 その思いが、今の私の生き方や仕事の根っこを、ずっと形づくっています。

当時は、それを「理念」だとは呼びませんでした。 けれど今振り返ると、あの縁側から、私の理念は始まっていたのだと思うのです。