会長に、なれなかった。 これは事実です。言い換える必要はありません。立候補して、選ばれなかった。それだけの話です。
経験だけで言えば、それなりに積んできたつもりでした。役職も、外の組織での活動も、自分なりにやってきた。だから、まったく期待していなかったわけではありません。 正直に言えば、悔しかったです。「私のほうが経験してきた」。そんな思いが、頭をよぎらなかったわけではありません。
負けを認めた瞬間に見えたもの
でも、同時に分かっていたこともありました。 選ばれた人のほうが、人として、ずっと豊かだったということ。
場の空気を変えようとしている感じもなくて、ただ、そこにいる人が、そのままでいられる時間が流れていました。誰かが余計なことを言っても、空気が崩れない。むしろ、面白がって受け取ってしまう。「あ、ここでは大丈夫なんだな」。そう思わせる人でした。 それは、役職や経験の数では身につかないものです。
私は、会長にはなれませんでした。でもその人は、私にこう言いました。 「専務を、お願いしたい」
一瞬、迷いはありました。なれなかった悔しさが、消えていたわけではないからです。それでも、即答しました。 理由を考えようとすると、うまく言葉になりません。ただ、この人が見る景色を、一緒に見てみたいと思った。それだけでした。
No.2の流儀
気づけば私は、「前に立つ人」を支える役割に、どんどん力を注いでいました。 考えを整理する。仕組みに落とす。言葉にならない思いを、形にする。自分が主役になるよりも、誰かが迷わず進める状態をつくることに、時間を使っていました。
最初から、そのつもりだったわけではありません。なれなかった、という事実から目を逸らさずに立っていたら、いつの間にか、この場所に立っていただけです。
今思うのは、リーダーシップには、いくつかの形があるということです。 前に立つ人。支える人。仕組みを整える人。 どれが上で、どれが下という話ではありません。組織が前に進むために、そのとき必要な役割があるだけです。
私は、会長にはなれませんでした。でも、なる人のそばで、一緒に考え、一緒に迷い、一緒に前を向く立場にいます。それが、今の私の仕事であり、選び続けている道です。